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大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)5666号 判決 1989年7月27日

主文

一  被告は、原告平田晃将に対し、三三〇万円、原告平田敏雄及び同平田良子各人に対し、それぞれ五五万円及び右各金員に対する昭和六〇年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告平田晃将に対し、三〇〇万円、原告平田敏雄と同平田良子各自に対し、一〇〇万円、原告らに対し、五〇万円及び右各金員に対する昭和六〇年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

(1) 原告平田晃将(以下晃将という)は、昭和六〇年四月二日大阪市立今市中学校(以下本件中学校という)に入学したものであり、原告平田敏雄(以下父敏雄という)及び同平田良子(以下母良子という)は晃将の両親である。

(2) 被告は本件中学校の設置者である。

2  (晃将の本件中学校入学前の状態)

(1) 晃将は昭和四七年二月二八日父敏雄、母良子の長男として出生し、昭和五一年一一月に急性腎炎となり、同五二年二月に急性腎不全と診断され、同年九月一〇日腎臓機能障害として身体障害者等級一級に認定され、週三日人工透析の治療を現在まで続けている。

(2) 晃将は昭和五六年(小学校三年生)ころより足の力が弱くなり、同五七年(小学校四年生)ころより歩行が困難になった。

3  (本件中学校の受け入れ準備)

(1) 昭和六〇年一月ころ、本件中学校の山口養護教諭(以下山口教諭という)が晃将の通っていた大宮小学校に出向き、晃将の状況把握と受け入れ準備に努めた。

(2) 昭和六〇年二月下旬ころ、母良子は山口教諭と面談し晃将の受け入れ体制について相談した。

その際、母良子は晃将の病状、足が悪く衝撃に弱いこと、小学校での車椅子の生活等を説明した。

(3)<1> 昭和六〇年四月二日同校入学式の際、母良子は晃将を運動場まで車椅子で連れていき、そこから入学式の行われる講堂までは二人の教諭が晃将を車椅子ごと運び、講堂内においては晃将の担任の能勢教諭が晃将と同じクラスの生徒である高橋勇一(以下高橋という)に押してあげるよう命じたため高橋が専ら押して移動させていた。

<2> この様子を見ていた母良子は、この日の帰り際に、能勢教諭にあって晃将の病状、足が悪くて衝撃に弱いこと等を説明すると共に他生徒にもその旨注意するように伝えてくださいと頼んだところ能勢教諭はこれを了解し「校長先生に言っておきます。」と答えた。

(4)<1> 昭和六〇年四月九日、晃将は入学式後初めて登校し、母良子が車椅子を押して教室まで晃将を連れていった。

<2> 母良子は教室の入口が狭く、かつ戸の敷居の段差が高いことが気になったため、登校直後山口教諭に会って相談したところ同教諭は「大丈夫です」と答えた。

<3> 晃将は一年八組に配属され、同クラスの教室(以下教室という)は本件中学校の入口から一番近い一階の部屋であった。

4  (本件事故発生の経緯)

(1)<1> 同日の午前中の授業は理科、社会、体育、国語で、晃将は体育の授業の間のみ養護教室へ行き、体育の授業が終わると原教室へ戻ってきた。この養護教室との往復は山口、藤井両養護教諭がした。

<2> この両教諭の間で「これからは、生徒に迎えにきてもらわなあかんな」という会話がかわされると共に、四時間目国語教科担当の北畑教諭が教室に来るや、「(晃将を移動させる)係を決めとかなあかんな。入学式のときは誰が押した?」といって高橋に手を挙げさせ、さらに「最初やから二人くらい決めとかなあかんな。」と言って、高橋を晃将の車椅子を押す係とするかのような発言をした。

(2) 同日午後零時三五分ころ国語の授業が終わると昼食、休憩の時間となり晃将も教室で食事を始めた。食事の途中担任の能勢教諭が様子を見に教室に現れ、食事後晃将に対して「待つときや」とだけ述べて教室を出たが晃将にはその意味がわからなかった。

(3)<1> 食事後同級生らは午後の校内見学のために運動場へ出て行き一時過ぎには教室内には晃将のほかに五人位しかいなくなった。

<2> 高橋も教室を出ようとしたが入学式の日に晃将の車椅子を押したことや国語の時間のやりとりを思い出し、晃将の方へ近づいて「連れていったげよ」と声をかけた。

<3> 晃将は先程の能勢教諭の言葉があったため「いい」と答えて断ったが、高橋は晃将の車椅子を後から押して教室前方入口から出ようとした。

<4> 高橋は車椅子の前輪を宙に浮かせその状態で車椅子を押して敷居を越えさせようと考え前輪を宙に浮かせたまま勢いをつけて敷居に向けて強く車椅子を押した。

ところが勢いをつけたものの車椅子は右後輪しか敷居を越えることができず左後輪が敷居に引っ掛かって車椅子は急に止まり前輪が廊下側に勢いよく落ち、晃将は車椅子から前方へ放り出され下半身を廊下で強く打った(以下本件事故という。)。

<5> この結果晃将は両大腿骨骨折の傷害を負った。

<6> 高橋は車椅子を押すことは入学式のときが全く初めてであり、晃将の病状特に衝撃に弱いことや車椅子を押す際に気をつけることといった注意は一切受けていなかった。

5  (被告の責任)

(1) 被告の負うべき注意義務

ア 生徒への指導監督義務違反

校長は学校設置者に代わって教職員を監督し、教職員と共にあるいは教職員を通じて自校の生徒に対する指導監督義務を負っている。したがって校長は全校生徒に対して、能勢教諭は自己の受け持った生徒全員に対して、晃将の病状と治療の結果足の骨が弱いから衝撃を与えてはいけないこと及び晃将の移動は教師が必ず付き添って行う旨をはっきり指示、説明すべきであったのにこれを怠った。

さらに、能勢教諭は晃将に対して車椅子の移動について指示を徹底すべき義務があるので、「いつ、誰が、こうするから、そのときまで待つように」といった具体的かつ明確な指示をなすべきであるのに、単に「待っているように」といった抽象的な指示をしたにすぎず、右義務を尽さなかった。

イ 安全配慮義務違反

被告は生徒の生命身体の安全について万全を期すべき安全配慮義務を負っているから、その具体的履行職責を負う校長は、移動の際の教諭の付き添いの徹底、本件事故の原因となった段差にスロープの設置を事前にすべきであったのにこれを怠った。

ウ 調査義務違反

被告はア、イの義務の前提として生徒の容態を正しく把握する義務を負う。したがって校長は生徒の中に病気の子がいることが判れば、更にその病状、治療、日常生活への適応、接し方等について校長自らがあるいは養護教諭、担任等を通じて、小学校、両親、本人、病院への聴取を行って調査すべきであった。しかるに校長はこれを怠り、単に小学校への聴取と母親への聴取をしたにすぎずしかもその内容は晃将の病名と人工透析を受けていることを知ったに過ぎず足の骨が弱くなっていることについて全く調査義務を尽くしていない過失がある。

また山口、能勢教諭も生徒の容態を正しく把握する義務があるから山口教諭は母良子から「足が弱い」と聞いたのならその意味についてさらに聞き返しあるいは病院に問い合わせるないしは母親に診断書を提出させるなどして調査を尽くすベきであったのにこれを怠り、能勢教諭は本校のように養護対象生徒の調査を養護教諭が受け持っている場合には養護教諭に対して問い合わせるべきであったにもかかわらずこれを怠った。

(2) よって、被告は国家賠償法一条一項に基づき原告らが被った損害を賠償すべき義務がある。

6  (損害)

(1) 晃将の損害

<1> 入通院慰謝料  三〇〇万円

晃将は関西医大病院に昭和六〇年四月九日から同年一一月二五日まで本件事故による骨折の治療のために入院し退院後は週一回の割合で通院し、同六二年に入ってからは定期検診のために月一回の割合で通院している。

入院中の治療は鋼線牽引治療(三か月続いた)あるいはギブス巻施行治療といずれも装具を装着して長時間骨折部位を固定して行うものでありとりわけ前者は身体全体ごと固定してしまうためその肉体的束縛による精神的苦痛は極めて甚だしいものである。骨折による激痛を伴っていたことはいうまでもない。

以上の肉体的精神的苦痛を慰謝するには少なくとも三〇〇万円が相当である。

<2> 後遺症慰謝料  一〇〇〇万円

晃将の現状は完全に両下肢の用の全廃をきたしている。そのため日常生活の全てにわたって不便、苦痛がもたらされている。これらの苦痛を慰謝するには少なくとも一〇〇〇万円が相当である。

(2) 両親の損害

<1> 慰謝料  各一〇〇万円

前項の晃将の苦痛を見るとき、両親にとっては我が子の死に遭遇したにも等しいくらいの苦痛を被っているのである。したがって両親の慰謝料はそれぞれ少なくとも一〇〇万円が相当である。

<2> 付き添い看護費用  五六一万六〇〇〇円

昭和六〇年一一月二六日以降晃将には二四時間つきっきりで看護が必要となっており母良子が今日まで付き添っている。その付き添い看護費用は一日当たり八〇〇〇円として同六二年一〇月二八日までに限っても五六一万六〇〇〇円である。

(3)<3> 弁護士費用  五〇万円

7  (結論)

よって、原告らは、被告に対し不法行為に基づく損害賠償として晃将につき損害の一部である三〇〇万円、父敏雄及び母良子に対し各自損害の一部である一〇〇万円、原告らに対し五〇万円及び右各金員につき本件事故発生の日の後日である昭和六〇年七月二六日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(1)の事実のうち、出生及び昭和五二年に身体障害者等級一級に認定された事実は認めその余は不知。

同(2)の事実は認める。

3  同3(1)は認める。

同(2)の事実のうち昭和六〇年二月ころ母良子が山口教諭と面談し晃将の受け入れ体制について相談した点は認めその余は否認する。

本件中学校の受け入れ準備は以下のとおりであった。

<1> 昭和五九年一〇月二五日、山口教諭が大宮小学校で晃将の病状、学習状況、教室の移動等について事情聴取をし、その聴取内容を書面にしてもらった。

<2> 同年二月、本件中学校生徒指導主事堤教諭、教務主任橋本教諭が大宮小学校に出向き晃将の病状、学校生活状況、級友の支援、介助の状況等を聴取した。

<3> 山口校長は右調査結果から中学校で普通学級に受け入れ可能か否か検討を要すると考え山口教諭に小学校での介護状況を詳しく調査する様指示し、同年二月二〇日、山口教諭は大宮小学校で介護状況を調査した。

<4> 校長は右報告を受け保護者から事情聴取するよう指示し、同月二五日山口教諭と母良子が面談し晃将の病状や受け入れ等についての要望を聞き、母良子から健康な生徒と同様の学校生活を送らせてやりたいとの希望が述べられ、足が弱いので一階の教室、黒板に向かって窓際に置いて欲しい等の申し入れがなされた。

以上の入学前の小学校及び母良子からの事情聴取においては「足が悪く衝撃に弱い」という報告は一切なかった。

<5> 校長は教頭と相談し一応普通学級受け入れを決めた後、同校の養護教育推進委員会に図り<ア>晃将を当面普通学級で受け入れ、支障が生じたときは再度保護者と相談する。<イ>介護方法、体制については、時間割が確定される直近の四月九日の日の放課後に協議決定する旨決定した。

<6> 同年三月二二日晃将に登校してもらい、入学前資料調査を行った。

<7> 同年四月一日、職員会議で一年の学年主任に対し校長から以下の三項目の指示がなされ、四月二日の職員朝礼直後、能勢、山口教諭にウについて指示がなされた。

ア 晃将の所属する一年八組の教室は前年度車椅子使用の生徒のために教室の出入口にスロープのある教室とする。

イ 晃将の担任には介護のため体力のある男性とする。

ウ 四月九日の打合せによる介護体制がきっちり組めるまでの間の介護は学級担任を中心に養護担当教諭も可能な限り協力し学年全体でも手のあいた教諭で介護する。

そして能勢教諭、山口、藤井両養護教諭は右校長の指示に従って晃将の介護に努めた。

<8> 同年四月八日、始業式で校長から全校生徒に対し、また能勢教諭は一年八組において、晃将の欠席理由を説明すると共に、始業式における校長の指導をより徹底させるためクラス全員に対し全員で晃将の身体を配慮し、助けていくようにとの趣旨の指導を行った。

同(3)<1>の事実は認める。但し、介護教諭は三名で高橋は講堂の入り口から座席まで約三〇メートルの往復を手伝っただけである。

同<2>の事実は否認する。

同(4)<1>の事実のうち母良子が車椅子を押して教室まで晃将を連れていったことは不知、その余は認める。

同<2>の事実は否認する。相談内容は体育の時間は養護学級における学習に振り替えられることと昼食は原学級で皆と一緒に行うことの二点を確認したのみである。

同<3>の事実は認める。

同4(1)<1>の事実は認める。

同<2>の事実は否認する。

同(2)の事実は否認する。同日午後一時一〇分頃、能勢教諭は教室へ行き生徒にオリエンテーションでの行動・持物等を指示した後、晃将に対して「迎えに来るから待っているように」と指示し、職員室へ戻った。

同(3)<1>の事実は認める。

同<2>の事実のうち、晃将の方へ近づいて「連れていったげよ」と声をかけた点は認めその余は否認する。時間は一時二〇分ころである。

同<3>の事実のうち、晃将が断った点は否認し、その余は認める。

同<4>の事実は否認する。

車椅子の前輪が出入口の戸のレールにひっかかり、そのため車椅子が前に傾き、晃将の身体は前のほうに投げ出されたように靴ふきマットの上に四つんばいの姿勢で転落しそれにより負傷したものである。

能勢教諭は一時二三分ころ晃将を迎えに行ったが見当たらないので運動場へ向かう途中本件事故を知った。

同<5>の事実は認める。

同<6>の事実は否認する。

同5はいずれも否認する。

前述のとおり本件中学校は十分な受け入れ準備を行ったものであり何ら過失はない。すなわち、<1>小学校及び母良子から晃将の病状、介護体制等について事情聴取を行い、<2>安全な教室を利用し(教室の段差はスロープ状の措置が施され安全であり、出入口の幅も車椅子を自由に出し入れするに十分である。)、<3>介護は男性の担任を中心に養護教諭が協力する体制を入学式以来実施し、<4>事故当日も能勢教諭は晃将のオリエンテーションでの移動、介護は担任が行う旨を朝の学級会、昼休みにクラス生徒、晃将に伝達している。

同6は否認する。

(体質的素因による寄与)

晃将の負傷は、車椅子からの転落によるものであるから通常であれば打撲程度にとどまり同人のような両大腿骨骨折の傷害は起こり得ないことで、同人の足の骨が脆く衝撃に弱いという特殊の体質的素因が存在していたことが原因となって本件傷害を負うに至ったものであり、またその後の治癒も遅れたものである。

三  抗弁(過失相殺)

(告知、助言、協力、配慮義務違反)

学校での生徒の安全は唯学校関係者のみの努力によって保たれるものではない。本件のように晃将の病状およびそれに適応した安全適切な介護方法に付き父敏雄及び母良子が最も熟知しているような場合、中学校が受け入れ準備として行った打合せの際、晃将の病状についての正確な告知とその病状に適した介護方法等についての助言、協力、配慮の義務がある。

(1) 母良子は小学校に対しても山口養護教諭の面接調査に際しても晃将の足の骨が脆いとか衝撃に弱いことに関する告知は一切していない。

(2) 本件事故は安全ベルトが着用されていれば防げていたといえ、父敏雄及び母良子は学校に対して安全ベルトを常時着用した車椅子での介護方法について助言等を行う義務を怠った。

(3) 山口教諭は母良子に対して晃将の昼休み時間における安全な介護方法として養護教室での介護を申し入れたが同人はこれを拒否している。父敏雄及び母良子としては普通教室のみでの介護に固執することなく学校の安全を配慮した介護方法に協力する義務があるのにこれを怠った。

(4) 晃将は中学一年生で自己の安全に配慮した行動、いいかえれば損害回避能力を有する年齢に達しており能勢教諭から連れに来るので待っているように指示を受けていたのであるから高橋が連れて行ってやろうと声をかけた折りに単に「いいわ」「いらん」とのべるだけでなく、先生から待っているようにと指示があった旨を明確につげることにより高橋の行為を制止できたもので晃将自身に過失がある。

四  抗弁に対する認否

いずれも否認する。

(1) 母良子は山口教諭等に対し晃将の足の骨が悪く衝撃に弱いことをきちんと説明している。

(2) 安全ベルトの着用は義務づけられているわけではなく普通に使用していれば安全ベルトを着用しなくても事故は起きない。

(3) 母良子等はできる限り他生徒とコミュニケーションをはかるようにと望んだにすぎず何が何でも拒否というのではなく校長が親の要望を納得して受け入れたのであるから原告らの過失を指摘されるいわれは全くない。

第三  証拠<省略>

理由

一  請求原因lの事実は当事者間に争いがない。

原告平田良子本人尋問の結果により同2(1)の事実が認められ、同(2)の事実は当事者間に争いがない。

昭和六〇年四月九日昼休み時間中に被告の設置する本件中学校の一年八組の教室の前方入口付近において原告晃将が乗った車イスを高橋が押しているうち、本件事故が発生しその結果原告晃将は両大腿骨骨折の傷害を負ったこと(本件事故の態様、発生時刻を除く)は当事者間に争いがない。

二  <証拠>を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 昭和五九年一〇月二五日ころ、本件中学校校長山口秀(以下校長という)は次年度の新入生の晃将が車椅子を使用することを知り、山口教諭に指示して、晃将が通学する大宮小学校へ事情聴取に出向かせ、同教諭は晃将が腎臓疾患で脚力が弱く歩行が困難であり車椅子を使用していること、関西医科大学附属病院において人工透析を週三日していることについて説明を受けその旨書面にしてもらい、校長に報告した。

(2) 翌六〇年二月ころ、同中学校生徒指導主事堤教諭、教務主任橋本教諭が次年度の一年生全員の個別調査の為小学校に出向き、その一環として晃将の状況を聞き、校長に対し右同旨の報告をした。

(3) そこで、校長は晃将を普通学級に受け入れ可能か否かを決するため、同月再度山口教諭を小学校に派遣し、同教諭は小学校の養護教諭及び晃将の五、六年次の担任の阪口教諭から病状、介護状況について事情聴取し、その際晃将の足が弱いことについて聴取したが、足が弱いというのは単に脚力が弱いという意味であると理解し、骨が弱いという趣旨に理解していなかった。

(4) 校長は保護者の要望等を聞くため山口教諭に指示して母良子と同月二五日面談させた。その場で母良子から普通学級への受け入れの強い申し入れがあり、週三日人工透析に通院するため学校を欠席すること、他の日は五時限目で早退すること、体育の授業は受けられないのでその間は養護学級で面倒をみてほしいこと、移動には車椅子を使用すること等のほか、足が弱いので一階の教室、黒板に向かって窓際に置いて欲しいとの申し入れがなされた。

山口教諭は足が弱いことについて前述のとおりの理解をしたため改めて問い直すことはしなかった。

山口教諭は右の結果を校長に報告した。

(5) 以上の事情聴取の結果、校長は介護体制さえ整えれば普通学級に受け入れ可能と判断し、同校の養護教育推進委員会と協議し、晃将を当面普通学級で受け入れること、介護体制についての具体的打合せは新年度の時間割が確定する四月九日の放課後の学年会ですることに決定し、新たに市の教育委員会に養護教諭の一名増員を申請した。

(6) 校長は小学校及び母良子からの事情聴取により調査十分と判断して、晃将が治療を受けている関西医科大学付属病院の担当医師に病状、取り扱いに関する指示等を聴取することはしなかった。そして、校長は本件事故発生後同病院の担当医師から人工透析していると骨が弱くなって骨折し易くなるものであり、晃将もその例であって、本件事故による傷害の治療のために手術をすることは人工透析によって体力が弱っていて不可能であるなどの容体を聞き、はじめて晃将の本件事故時における骨の状態及び体力の減退を知ったほどである。

(7) 同年四月一日、校長は一年の学年主任に対し、晃将のクラス担任は体力のある男性にすること、晃将の教室は養護教室に近く、出入口に前年度車椅子使用の生徒のために設置されたスロープのある教室とすること、四月九日の学年会までの晃将の介護は担任を中心に養護教諭が協力し、学年全体でも手のあいた教諭は協力する旨指示した。

翌二日朝の職員朝礼では、校長は前日担任に決まった能勢教諭に介護体制が十分固まるまで中心になって介護にあたること、養護教諭の協力をお願いしてもよいことを指示し、山口教諭に対して可能な限り協力する様指示した。

しかし、能勢教諭は前記の小学校、母良子から事情聴取した結果を知らされていなかった。

(8) 同日入学式の後、母良子は能勢教諭と会い、晃将は人工透析のため週三日休むこと、その他の日は五時限目で早退することのほか、骨折しやすいので座席を窓際にして欲しい旨の申し入れをした。さらに同教諭が晃将の車椅子を押して教室の前出入口から前向きに出たところ、母良子から後ろ向きに出して欲しい旨の指摘を受けた。

(9) 四月八日始業式の日は晃将は人工透析のため欠席した。

(10) 四月九日朝、母良子は晃将を教室まで送りとどけた後、山口教諭と会い、当日の三時限目の体育の授業の間は養護教室で面倒を見ること、その際の移動は養護教諭がすることの説明を受け、さらに昼休みの時間は養護教室で面倒をみる旨の申し入れを受けたがこれを断った。また母良子は教室の出入口が狭いのではないかとの申し入れをしたが山口教諭は前年度も車椅子の生徒が使用した教室であったことから特に気をとめなかった。

(11) 同日朝の学活において、能勢教諭はクラスの生徒全員に対し、午後は校内見学のオリエンテーションに時間割が変更されていることとその指導をし、晃将の移動については「平田君は先生が連れていく。」と話した。

(12) 当日三時限目の体育の時間は晃将は養護教室で過ごし、四時限目が始まるころ山口、藤井両養護教諭に連れられて原教室に戻った。その際、四時限目の国語担当教諭からクラスの生徒に対して車椅子を押したことのある生徒はいないかとの質問があり、入学式の日に押した高橋が手をあげたが、晃将の車椅子を押す係りを高橋にするという話はなかった。

(13) 昼休みになり、能勢教諭は再び教室に来て、クラスの生徒全員に午後のオリエンテーションの説明をするとともに晃将に対し「待っときや」といいおいて職員室に戻った。

(14) 午後一時二〇分ころ予鈴が鳴り、大部分の生徒はオリエンテーションのため運動場へ集合し、教室には晃将と数名の生徒が残るのみであった。前記高橋は帽子を取りに教室に戻った際、晃将がまだ教室に残っていることに気づき、晃将に「連れていったろ」と声を掛けて車椅子のブレーキを外して前の出入口に向かって車椅子を押していった。

晃将は能勢教諭が迎えに来ると言っていたことを思い出し「いいわ」と言って拒絶したが高橋はそのまま車椅子を押し、前向きのまま出入口から出ようとしたが、車椅子の前輪がレールに引っ掛かり、あわてた高橋がなおも押したため車椅子が上下に揺れ晃将は前方に落ち廊下側にうつ伏せに倒れた。

(15) その結果晃将は両大腿骨骨折の傷害を受け、当日から一一月二五日まで入院し、鋼線牽引治療、ギブス巻き等の治療を受けたが両下肢全廃の状態で治癒する見込みはなく、以前は介助を受けて身のまわりのことをすることができたが、現在は、這うこともできず、排便等についても母良子の介護が必要な状態である。

(16) 教室の安全性については出入口は車椅子の大きさに比べ著しく狭いとはいえず、また事故後に設置されたスロープ等が事前に設置されることは望ましいといえるが、事故前の状態であっても後ろ向きに出す、先生が移動を行う等の介護態勢が徹底されていれば本件事故は避けえたものである。

右認定事実に基づき被告の責任について検討する。

校長は障害をもった生徒を受け入れる場合、その病状等について小学校や両親、本人から事情を聴取するのみでなく必要に応じて医者の診断書あるいは医者からの事情聴取をするべきであるところ、本件において、小学校及び母良子からの事情聴取の結果、晃将の病状が、人工透析で週三日欠席し、足が弱く車椅子を使用していることが判明したのであるから校長は担当の医者に事情を聞くなどして積極的に晃将の病状を知るための行為に出るべきでありかつそのことは自ら又は教諭を使ってもしくは両親を介して容易になしうることであったのに、小学校や母良子から事情を聴取したにとどまり、担当の医者から晃将の病状を聴取し、併せて晃将の取り扱いについて助言を受ける方策を講じなかったのであり、この点に過失がある。

本件事故は、この過失により、晃将の足の骨が人工透析により弱くなっており骨折し易いことについて十分認識していなかったことに起因するものと考えられる。

即ち、以下のとおり、晃将を受け入れるにつき対応の甘さが認められるが、これはすべて右の認識不足に帰せしめられる。

担任の能勢教諭は午後のオリエンテーションの移動についてクラス全員に対して「先生が連れていく」旨の発言をしたのみであり、その発言は生徒が好意で晃将の車椅子を押すことまでを禁止する趣旨であることは生徒に理解されがたく、更に校長、能勢教諭あるいは山口教諭は、具体的に車椅子を生徒のみで押すことが危険であることを説明した上で生徒のみで押さないように指導しなかった。校長は晃将の介護の具体的な打合せは四月九日の放課後の学年会でする予定でありそれ以前は担任の能勢教諭を中心に山口、藤井両養護教諭が協力して介護を行う予定であったが、能勢教諭には小学校、母良子から得た情報さえも担当指名後直ちに伝達されることがなかったため入学式の日に母良子から晃将の足の骨が弱く骨折しやすいことを聞いていたにもかかわらず前記のような指導にとどまった。

よって、被告は中学校教育という公権力の行使に当る校長が、その職務を行うにつき過失によって晃将に損害を加えた場合として国家賠償法一条に基づき損害を賠償する責任を負う。

三  損害

1  <証拠>によると、晃将は昭和六〇年四月九日から同年一一月二五日まで入院し、その後は週一回、昭和六二年からは月一回の割合で通院していること、また退院後はとくに治療行為といえるものはなくもっぱら患部の検査が行われたこと、晃将の介護は本件事故前も母良子が学校の送り迎えをし、家庭内でも介助をしていたが、本件事故後は排便等も自力でできなくなったため母良子の負担は増加したこと、他方、本件は一生徒の好意に基づく行為から生じた不幸な事故であること、校長は小学校に対する三回に亘る事情聴取、母良子に対する一回の事情聴取の結果にもとづき、本件事故当日に本格的な受け入れ態勢を検討することとし、それまでの暫定的な方策として、能勢教諭が養護学級の教諭の協力のもとに対応する旨決定してこれを実行しており、その上、教室の選択、座席の位置にも配慮しており、当時の資料によって考えられる対応策としては相当のものであったといわなければならず、校長は結果として不十分ではあるが誠実に受け入れについて準備を行ってきたこと、晃将の足は人工透析のため事故前においてもかなり弱くなっておりすでに自力では起立できない状態であったことが認められる。このような点を彼此対比して検討すると、以下の損害額を認めることができる。

(晃将の損害)

(1) 入通院慰謝料  一五〇万円

(2) 後遺症慰謝料  一五〇万円

(父敏雄、母良子の損害)

(3) 付き添い看護料(昭和六〇年一一月二六日から同六二年一〇月二八日まで)  各五〇万円

(原告らの損害)

(4) 弁護士費用  原告晃将につき三〇万円、同敏雄及び同良子につき各五万円

2  父敏雄、母良子は、本件において、その固有の損害として慰謝料の請求をしているので、その点について考えるに生命を侵害された場合に比肩し得るほどの重大な傷害の場合には、民法七一一条の類推適用により被害者の父母に固有の慰藉料請求権を肯認すべき余地があるものとしても本件の晃将の負傷の程度は決して軽くはないとはいえ生命を害された場合に比肩するほどのものとも評価し難いから右民法七一一条の類推適用によって父敏雄、母良子に固有の権利としての慰藉料請求権を認めることはできないし、他に右同人らに慰藉料請求権を認むべき根拠もない。したがって、父敏雄、母良子の慰藉料請求は理由がない。

3  過失相殺についてみるに、以上認定の事実にもとづいて考えるとこれを肯定する事情を見出すことができない。

四  結論

よって、原告平田晃将の請求は三三〇万円、原告平田敏雄及び同平田良子の請求は各五五万円及び右各金員に対する不法行為の日の後である昭和六〇年七月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれをその限度で認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担に付き民訴法九二条但書、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 東 孝行 裁判官 綿引 穰 裁判官 大竹優子)

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